つま先から1センチ先の世界は、じりじりとした太陽に焼かれ、今にも溶けてなくなりそうだった。体操着のまま逃げ込んだ日陰は、汗が引くぐらい、涼しいけれど、それでもこのお腹のズキズキとした痛みを消してはくれない。体育座りで座った体の中心から、うるさく主張する血液の音に、そろそろ負けそうになって「ふはあ」と全身の力を抜いた。けっして、可愛く振舞えないサッカーの授業からいちぬけたあたしを、何人かの女子が羨ましそうにチラチラみてる。

いや、あたしは髪の毛振り乱しながらグラウンドを走る方を選ぶよ、今この瞬間だけは。


「顔色が死体のようですよ?」

         
へたりこんだあたしの横に、音も立てず細い男が立った。見上がれば、薄い縁取りの眼鏡のフレームがきらり、と光に反射した。
          
          
「............まだ生きてます、かろうじて」

「それは失礼」

         
真顔で謝った男は、少しだけ口角をゆるめて笑った。

          
「柳生くんはサボリ............て、んなわけないか」

「ボールが眼鏡に当たり、レンズがずれました」

「ぷっ」

          
吹き出したあたしに「心外な」という顔をして、柳生はずれたレンズを直そうと眼鏡に手をかけた、フレームがさらり、とした栗色の前髪をはねのける。笑いかけたあたしは、ふいに視線をそらして、それを見ないようにした。体の奥で、今感じている痛みとはちがう痛みの音が“ズキン”と鳴る。

グラウンドから、チラチラ視線をむけてた女子は、いまや1人だけになっている。

          
「まさか柳生くんから話しかけてくれるとは思わなかったよ」

「私はもう話さないとは言っていませんよ?あの時」

「線は引くと言ったのに?」

「引いていますよ、今も」

                    
本気なのかどうかわからず、確かめようと見上げれば時すでに遅く、その目は直された眼鏡のレンズに隠されてしまった。柳生は静かに言う。


「飛んでくるボールを避けようとしたら、目の端でそのまま
日陰に埋まってしまいそうなあなたが見えました」


「............残念ながらボールは避けきれませんでした」


体の奥で、血液が逆流してカアアと顔を火照らせる、何も言えず、柳生の顔もみれず、あたしは黙り込んでしまった。最後まで視線を送っていた女子が、こちらにむかって手をふっている、何度も羨ましいと思ったその顔が、不安げにグラウンドからあたしの横に立つ自分の彼氏を見つめている。さらに痛みだしたお腹を抱えて、よくまわらない頭で「あの子とあたしはお互いどっちがより、今この瞬間の立場を変わりたいと思うだろうか?」と考えてみた。

光に照らされた焼けるようなグラウンドから、フった女の子と一緒にいる彼氏を気にするあの子。
涼しい木陰でつきそわれながら、未だに柳生が好きだと痛感して、心も体も死にそうに痛いあたし。

よく考えてみたけれど、わからなくてあたしは頭をふった、なけなしの小さなプライドが「あの子とは変わりたくない、そして変われない」とだけ叫んでいた。

          
「........もう戻りなよ」

「...........」

「彼女が呼んでるよ?」

「私は死にそうな顔をした同級生と健康な顔で手をふる彼女なら、前者をより気にかけますよ?」

「ふっ」


微笑んで、よろよろとあたしは立ち上がった、あたしを支えようと柳生が手を出したけれど、それをすいと避けながら、木陰が終わる境界まで行く。


「あたし柳生くんのそういう所が大好きで、ちょっとだけ嫌いだったよ」


柳生が、複雑そうに少し笑ったのを目の端で認めたけれど、それは一瞬だった、木々の陰影が作り出した錯覚だったのかもしれない。日陰から一歩踏み出せば、じりじりと全身に熱く重くのしかかる疲れ、肌を焼かれながらも、あたしは少しずつ、一歩、一歩校舎の方へ歩いてゆく。思っていたよりも、足取りはしっかりとしていて「あっ、あの場で貧血ででも倒れてみせれば良かったかな、惜しい事をしたなー」と思ったけれど、そんな繊細には出来ていない自分を、なんだか可笑しく思った。校舎内の保健室が、そう遠くはない向こう側に見える。お腹はまだズキズキと痛いけれど、今はあたしをなんとか前へと進ませてくれるこの痛みと、その奥のもう一つの痛みを、あたしはとても頼もしく思った。







091006